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2015年8月21日金曜日

戦後賠償とODAのアレコレ その1





実質的にお盆明け初めての記事は、お堅いテーマ。


とはいってもお堅いことをどれだけ分かりやすく
書くか?というのも大きなテーマですので、
どうぞお付き合いください。



今回は戦後賠償とODAについて書きます。




   「なあ、日本から賠償でむしりとってやろうか?
   二度と大東亜戦争なんぞトンデモナイことを
   しでかさないように、コテンパンにたたきのめ
   そうぜ!」


   「しかしなぁ、東アジア情勢から見ると、日本に
   西側陣営の防波堤として役割を果たしてもらった
   ほうが俺たちに好都合なんじゃね?」



のっけから「?」となるかもしれませんが、
第二次大戦後の連合国側の思惑を、会話に
したものです。


ポツダム宣言の受諾後、連合国側、とりわけ
アメリカの内部で上記のような意見が交わされ
たといいます。


1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が、
1949年に中華人民共和国がそれぞれ成立し、
東アジア情勢が緊迫してきた時期。


日本への賠償は、アメリカの思惑によって
軽減されようとしていました。


東南アジアの国々は当然不満です。



   「何で日本にそんなに甘いんだよ~!
   日本軍に蹂躙された俺たちの立場も
   考えてくれよ!!(憤怒)」



そんな声も、アメリカはお構いなし。



   「でもさぁ、日本は今食べていくための食料も
   自分で生産する力がなくて輸入しちゃってて、
   その代金は俺たちが払ってるんだよね。ま、
   それは占領した立場の義務として仕方
   ないとは思うけど、この先ずっと日本の面倒を
   見れるわけないんだ。

   だから、日本に経済的に早く自立してもらい
   たいんだよね。」






*このシリーズの記事は、以下の2つの書籍の
 内容を参考にしています。


 徹底検証 ニッポンのODA  村井吉敬編著

 日本人の暮らしのためだったODA 福家洋介・藤林泰編著

 




 まだ全部読んでません(^_^;)が、とりあえず見切り
 発車で書いてます。






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